なぜ自分は不幸だと思う人たちが多いのか?

「私ってさぁ、ついてないんだよね。いつも男運悪くてさぁ」

「なんも楽しいことないなぁ、不幸だなぁ」

「まわりの人はよくできているのに、私だけできてない」

「まわりの人は幸せそうなのに、私はそうじゃない」

 

上のセリフはテキトーに考えたものだが、

思い当たるものはあるだろうか?

人はなぜか自分を不幸に感じやすい傾向がある。

自分を悲劇のヒロインかのように愚痴る人が

まわりに少なからずいるはずだ。

ひょっとしたら、あなたがそうかもしれない。

不幸自慢はあなた自身も周りも不幸せにするものだから、

極力はやめたいものだ。不幸な人生。

 

なぜ、彼らは、あるいはあなたは不幸を感じているのだろうか?

 

人間が不幸を感じやすいのは心理的に仕方ないのである。

 

『現状維持では、後退するばかりである。』

 

これはかの有名なウォルト・ディズニーのセリフだ。

人は現状維持では、満足ができなくなり、

のぼり調子でないと幸福を感じられない。

それにもかかわらず、人間には現状維持のバイアスがあり、

現状維持を大切にしようとする心理がある。

 

こんなセリフを聞いたことはないだろうか?

 

「幸せすぎて怖い」

「こんな幸運があると、やがて不運がやってきそう」

 

などだ。

これらは平等主義に毒された価値観も要因の一つだが、今回は割愛する。

 

なぜ、幸福が怖いのだろうか?

 

これはさきほど言った通り現状維持のバイアスがかかっており、

幸福という変化を恐れているのだ。

 

不思議な心理設計だ。

変化がないと幸せを感じないのに、

変化を恐れるように私たちは設計されているのだ。

 

そして、不幸を感じやすい理由がもう一つある。

 

それは自己奉仕のバイアスと呼ばれる心理だ。

自己奉仕のバイアスは「要は結果良ければ実力」、

「悪ければ運」というものだ。

その所為で私たちは基本的に自信過剰になるように設計されている。

 

しかし、現実はどうだ?

 

自信過剰というように身の丈にあっていない自信なのだ。

本当の実力は自分が考えているよりも、下なのだ。

 

そうすると、どうなるか?

 

世の中は理不尽なことだらけだ。

しかも、自分の実力は自分が思ったよりもないのだ。

悪い結果は全部運の所為にしていれば、不幸を感じて当たり前だ。

 

ああ、なんて私は運がない、不幸だ。

 

そう思わず感じてしまうように設計されているのだ。

 

まとめると。

①のぼり調子という変化が幸福を感じる要素。

②しかし、現状維持のバイアスにより変化を恐れ、幸福も恐れてしまう。

③しかも、自己奉仕のバイアスにより現実とズレが生じ不幸を感じさせる。

 

なんて、欠陥商品を神様はつくるのだろうか!

こんな不幸システムを抱えていて、生きてられるか!

 

と、思うのは早計である。

 

神は私たちに理性を与えた。

 

不幸を感じるシステムがあると、考えることができたのだ。

これは幸せなことである。

 

なぜなら不幸を感じるシステムを理解すれば、

幸せを感じる方法も分かるからだ。

 

まずは変化を恐れないことだ。

自分に良いと思うことなら、恐れずに実行することだ。

現状のバイアスにより、ためらいはうまれるだろうが、

そこを理性で突き抜けるのだ。

自分の意思で無理なら、友人に相談し、

友人にそれは良いことだと後押ししてもらうのだ。

あるいは紙に書き出して、客観的に視覚情報で判断するのだ。

 

幸福を恐れてはいけない。

幸福とは間違いなく、良いものだ。

幸福だから、今度は不運が起きるなどのように世の中なっていないのだ。

ずっと幸せを感じて、楽しく暮らしている人間もいるのだから。

 

自信過剰は悪いことではない。

悪いのは結果が悪かった時に「運」のひとことで片づけてしまうことだ。

それは本当に運だったのか?

なにか原因があったのではないか?

そして、世の中は理不尽だと理解することだ。

頑張っても報われないことはある。

個人個人に差はある。世の中は不平等なのだ。

だから、「自分は不幸」と思わずに「世の中そんなもんだ」と思うことだ。

 

私が提案することだけでは足りない部分も多いだろう。

しかし、

不幸を感じるシステムがあることを知ったことはきっとあなたの為になる。

 

私はそう信じている。

 

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